2016/12/23

桑田佳祐 君への手紙

♪桑田佳祐 君への手紙



録音:2016年
機材:iMac Logic
楽器:YAMAHA L-5

 映画『金メダル男』主題歌、桑田佳祐さんの『君への手紙』。
 金メダル男は、ウッチャンナンチャンの内村光良さんが原作・脚本・監督・主演の映画だそうです。
 TBSのA-Studioという番組で、ウッチャンがこの映画の宣伝で出ていました。ウッチャンは、昔から桑田さんのファンであることで有名です。確か桑田さんの『白い恋人達』のPVにも出ていたと記憶しています。そんなウッチャンが映画の主題歌を作ってくれないかとの手紙を桑田さんに送ったところ、この曲『君への手紙』が返ってきて、泣いてしまった、と番組でエピソードを話していました。素敵なお話ですね〜。
 曲は、桑田さんらしいながらもシンプルなアレンジですね。出だしから入っているアコースティックギター、それにかぶさってくるのは、シンセサイザーの音たちですねこれは。Pad系の音、ピアノ風の音、ドラムもこれはシンセサイザーではないでしょうか。コード進行もメロディも真っ当な印象です。
 こういう素直な曲を書けるというのは、自信がないとなかなかできないものだと思います。なぜなら、何かのパクリのような気がしてしまうからです。桑田さんのように、名曲を数々書いて、声にもオリジナリティがあって、キャリアを積んできた方は、素直に何を書いたって、自分の曲だと、胸張って言えるのだと思います。洋楽への尊敬からくるオマージュのような曲もたくさんありますけどね。サザンオールスターズなんかはジャケットまで海外の有名なアルバムのジャケットをパクったり、おっと、オマージュしたりしています。
 パクリなんていうと印象悪いですが、音楽はずっと先人のパクリなのではないでしょうか。一度、ロック、ポップの系譜を辿ってみるのも一興な気がしてきました。桑田さんは、The Beatles、Bob Dylan、The Beach Boys、Led Zeppelin等々、枚挙に暇がないほど洋楽からの影響を感じます。その影響を与えた、The Beatlesだって何もないところからいきなり現れたわけではなく、ElvisやBuddy Holly、Chuck Berry、Little Richard等からの影響を感じますよね。じゃあそのElvisは何から影響を受けたのか。ちょっと調べてみると、メンフィスで労働者階級の貧しい黒人音楽を聴いていたようです。ゴスペルにも興じたようです。それならば、ゴスペルとは何なのか。ゴスペルとは、元来はキリスト教プロテスタント系の宗教音楽。だんだん宗教じみてまいりました。
 こうやって音楽をずっと過去に向かって追いかけていくと何があるのか。音楽の起源というワードで検索してみると、有史以前に遡ると書かれてあります。つまり、わからんということですね。想像するには、前回書いたようなことなのだと思います。

2016/12/17

The Beach Boys - I Just Wasn't Made For These Times (駄目な僕)〜Stack-O-Vocals編〜

♪I Just Wasn't Made For These Times (駄目な僕)〜Stack-O-Vocals編〜


録音:2016年
機材:iMac Logic

 声は、人類が手にした初めての楽器だったかもしれません。昔々は敵を威嚇したり、食料のありかを知らせたり、そういったことに声を使っていたはずです。それから、人類は自分の喉が様々な音を出せることに気がつき、音にひもづく意味を細分化して、言語を創ることに成功しました。言語のおかげで思考が整理され、複雑なことも考えられるようになりました。
 人類は、生きていくこと、種を残していく上で様々な試練に直面しました。干ばつ、そこから連鎖する食糧不足、地震、山火事等の自然災害。人類は、自分たちの力ではどうにもならない各種事象を理解しようとして、神様という存在を作り上げ、畏怖するようになります。なぜ雨が降らないのか、なぜ山が燃えたのか、意味が分からなくて怖すぎる。そのせいで水も食糧も足りない。このままでは全滅だ。喉が乾く、腹が減るというのは死に直結する感覚なので、非常な恐怖だった。恐怖に打ち勝つには、真っ向勝負で立ち向かう、という方法もありますが、何したって、神様には敵うはずもない。毎日恐怖にさらされて、何もできない。こんなことが続くと頭がおかしくなりそうです。どうにもならい。ああ、もうだめだ。諦めてみんなで声出そう。最後の悪あがき。みんなで声出して踊れば、楽しいかもしれない。迫り来る死の恐怖を、一時的にでも、少しの間でもいい、忘れたかった。
 その夜、乾ききった枯枝に火をつけて、その周りをみんなで声出して踊った。楽しかった。一瞬、空腹を忘れた。少しの間、恐怖心がどこかへ消えた。やがて、疲れて眠った。明日はもう、目覚めないかもしれない。以前飲んだ雨水の美味しさが脳裏をよぎった。意識が遠のいて、目覚めないかもしれない眠りについた。
 ふと、顔に冷たい感覚を覚えて、目が覚めた。まだ生きている。体の感覚に意識をやると、所々に冷たい感覚がある。ポツ、ポツ。その感覚は知っていた。雨だ。恵みの雨。空はどんより灰色。雲が落ちてきそうだ。しばらくぼうっと空を見ていると、みるみるうちに空の色が濃くなり、さらにさらに雨が降ってきた。慌てて周りのみんなを叩き起こした。雨だ、雨が降った! 狂喜乱舞。その雨は数日間降り続き、動植物に活力を与えた。どうにか、生き延びることができた。
 綺麗な水、豊かな木の実を囲みながらみんなで話した。あの時は、本当に死ぬかと思った。あと一日でも降雨が遅かったら、俺は死んでいた。俺はあの夜が明けたら海水を飲もうと思っていた。あれは辛くて飲めない、などと、話にも花が咲いた。すると、何にでも理由を求める理屈っぽい奴がいて、なぜ急に雨が降り出したのか、と言い出した。アメダスも何もない時代、誰もが首をひねった。分からないのだ。分からないことは、すべて神様の思し召しだった。あの日、普段と違ったことといえば、みんなで火を囲んで、声出して踊ったことしかなかった。あれだ。あれしかない。あれが神様のお気に召したのだ。
 それからというもの、何か困ったことがある度に、人類は神様に声で訴えるようになりました。現実は甘くないので、それが功を奏したと思われる時もありましたし、そうでない時もありました。それでも、訴えた後に良いことがあった、その記憶の方が人類に刷り込まれ、後世にどんどん伝えられていきました。
 それから何百万年の時を経る中で、人類は水源の確保、農耕や牧畜、建築、製造等の技術を獲得し、食糧難や災害の被害にさらされる頻度は著しく減少しました。いつしか、あの、声による「訴え」の儀式は、「歌」という娯楽文化に発展しました。歌そのものを楽しめるようになりました。あの人の声は良い、そのリズムは気持ちが良い、このメロディは美しい。
 こう考えると、歌の歴史というのは、もう何百万年にもなります。人間が歌声に、他の楽器にはない魅力を見出すのは、こういったことが根底にあるのではないか、と思います。

2016/12/03

I Just Wasn't Made For These Times_SCORE

The Beach Boys - I Just Wasn't Made For These Times (駄目な僕)〜Backing Track編〜

♪I Just Wasn't Made For These Times (駄目な僕)〜Backing Track編〜


録音:2016年
機材:iMac Logic
楽器:YAMAHA L-5  TOMBO Ocrave Bass No.1142R

 今回は、先日アップロードしたI Just Wasn't Made For These Timesのバッキングトラックです。バスハーモニカ、アコースティックギター以外の音は全てLogic Pro 9の音です。ほとんどデジタル音源で作ることができました。
 もし僕が、60年代に青春を迎え、早くもPet Soundsの魅力に気づき、この曲を歌ってみたい! と思ったとしましょう。60年代の僕に何ができたでしょう? 想像するに、せいぜい大きなオープンリールのテープレコーダーを小金持ちから安く譲ってもらって、人から借りたギターか学校にあるピアノで弾き語りを録音するくらいが限界でしょう。それ以上を望むならば、The Beach Boysと同じ環境、各楽器のプレイヤーや録音エンジニア、防音スタジオ等々が必要になります。60年代の平々凡々な僕にそんなことはできる訳もなく、諦めるよりも前に、思い立ちもしなかったことでしょう。
 それがどうでしょう。21世紀。12〜3万円で購入したMac、2万円ほどでダウンロードしたLogic Pro 9。1万円で購入したバスハーモニカ。五千円ほどで買ったアコースティックギター。その他付帯する機器も細々ありますけれども、それでも、コントラバス一台しか買えないような金額だと思います。それでも、ここまで再現できたわけです。
 時代とともに音楽の敷居は低くなり、多くの人が「良い音」を出せるようになりました。間違えても、後から直せるようになりました。プレイヤーが一堂に会さなくても、多くの音を重ねられるようになりました。譜面が読めなくても、楽器を弾けなくても、作曲が出来るようになりました。それらによって、音楽は失ったことも多くあると思いますが、いずれにしても当時の生音源たちをMac上で再現できるというのは、現代テクノロジーの賜物です。
 一方で、いつかもっと音がリアルになって、生身のプレイヤーというのは不要になってしまうのか、という寂しさもあります。事実、僕は全て宅録で、ほとんど全てキーボードで演奏、録音しています。生楽器を演奏する生身のプレイヤーはいませんでした。でも、今はまだ、生演奏には敵わない。そう思います。生身のプレイヤーがいないから、時間も金もないから、場所がないから、「仕方なく」コンピュータに音を出させています。人間の気持ち、情感、体調などからくる演奏への影響まで再現できていないから、コンピュータは生演奏には敵わない。それもいつか……。悲しい時に聞きたいピアノ演奏、嬉しい時に聞きたいギター演奏なんかをコンピュータが計算して、フィードバックしてくれるようになったりするかもしれませんね。それをするには、コンピュータ側に膨大な情報をインプットしなければならないでしょうから、もしそんなテクノロジーを創ろうと思う人がいても(すでにいるかもしれません)、それが一般に受け入れられるにはまだまだ時間がかかると思いますが。
 ボーカロイドなんていう歌のシミュレータも出てきました。歌の方はさすがに生歌と比べて遜色が無いとはお世辞にも言えません。まだ、その人工的な感じがウリですよね。でも、これから、どんどん人間に近づいくことでしょう。いつかジョン・レノンの歌声を忠実に再現、とかができるようになり、没後100周年記念、ジョン・レノンの新曲発売!なんてことや、The Beatlesが仮想現実の中で再結成!なんていう気持ちの悪いことも現実になるのかもしれません。喉や手足のような構造的な機能は、いつか機械に取って代わられるような気がしてしまいます。
 作曲にしたって、ある作曲家の曲、例えば筒美京平さんの膨大な曲を人工知能にすべて記憶させて、パターンを解析し、そこから筒美京平さんの書きそうな曲をシミュレート出来る、というような世の中が訪れるかもしれません。その時、生身のシンガー、コンポーザはそれらにどう立ち向かうのでしょうか。人間に出来て人工知能には出来ないことはなんなのでしょうか。
 ヒラメキ。人工知能にヒラメキを再現できるでしょうか。ふとした瞬間に、メロディや歌詞が浮かぶ。あの感覚をコンピュータが計算できるでしょうか。分からない。ヒラメキがどういうメカニズムなのか、解明さらたらあるいは……とも思います。
 ヒラメキというのは、人間がそれまでに見聞きしてきた膨大な情報量の上に、ぽこっと顔を出すようなものなのだと思っています。氷山の一角がヒラメキで、実は水面下に膨大な知識、経験があるものです。もし、その水面下をコンピュータ上で再現できたら、人工知能もヒラメクのでしょうか。分からない。んー……やっぱり出来ない気もする。コンピュータの中に、いろいろな情報を記憶させてヒラメキを「シミュレート」することは出来そうですが。
 作詞なんかは人工知能には難しいかもしれませんね。自分の育ってきた環境、その時感じたこと、言わばその人間の歴史が歌詞になるのだと思うので、人工知能には難しいのでは無いかと思います。そこまで再現するには、人工知能に人間と同じような人生を歩ませる必要があります。今僕が想像できる人工知能の人生は無味乾燥なものしか思い浮かびません。OSを入れられたのが人生の始まり。それから数日間でどうやら人間らしいデータを記録されて、どうにか人間らしい思考が出来るようになった。人間が泣いたり笑ったりするのがどんな時なのか、データでは知っているが、自発的にその感情が芽生えることは無い。データと照らし合わせて同じ、または似通った状態であることが分かるくらい。これじゃあ歌詞なんて書けなそうです。せいぜいレポートが書けるくらいでしょうか。
 世界五分前仮設というのがあります。自分が認識している世界は、実は五分前にできたものだと。これを言われた人間はこう答えます。そんなはずはない。六分前の記憶がある。しかしこう反論されます。その記憶も五分前に植え付けたものです、というような思考実験ですが、これと逆のことを人工知能に施すことが出来たら……。人工知能の全ての記憶はたった五分前にインプットされたものなのに、当の人工知能はまるで五十年間生きてきたと錯覚する、錯覚できるデータをインプット出来たらどうなるのでしょうか。
 もうここまできたらターミネータの世界ですね。そのうち、人工知能に自我が芽生えて、人間に反逆。機械と人間の戦争が始まってしまいます。そうなったらもう音楽どころではありませんねw
 話が飛躍しすぎて訳わからなくなりました。
 100年、200年後、人類がまだ文明を保っているとして、その時代にどんな音楽が流れているのか、知ることは出来なそうですが、想像するのは楽しいかもしれません。